活動の記録 Vol.3

概要

東北生まれのアーティストが、会津地方で活躍する多様なフィールドの実践者へのリサーチを通してその分野に分け入り、アートと異分野との融合を通して、思考の深化や新たな表現を試みました。
その成果は、3組のトークセッションと、作品展示として紹介しました。

展示:

2014年9月6日(土)・7日(日) 3名のアーティストによる会津リサーチの軌跡

フリートーク:

2014年9月6日(土) 3名のアーティストの異分野へのアプローチ紹介と観客とのフリートーク

トークセッション:

2014年9月7日(日) アーティストと会津地方の専門家による、3本の異分野クロストーク

会場:

東町蔵屋敷 会陽館(福島県喜多方市字東町4088番地1)

主催:

精神の〈北〉へ実行委員会、はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト実行委員会(文化庁支援事業)

助成:

文化庁 平成26年度 地域と共働した美術館・歴史博物館創造活動支援事業

協力:

リサーチ/ 菅家博昭・長谷川浩・山中雄志
トーク内容文字起こし/ 阪下昭二郎・千葉奈穂子
NPO法人まちづくり喜多方・東町蔵屋敷会陽館・一般社団法人IORI倶楽部・喜多方商工会議所・つきとおひさま・高島正志・studio mar・他

チラシPDF

【三者三様!異分野クロストーク】

『早稲谷へ行ってみよう~』小野良昌 x 長谷川浩

小野:今日のお客さんの中で農業をやっている方は、思った以上に少ないのが現実です。僕自身でも農業に対する距離感があって、なかなか分からないと思っていた中で、長谷川さんに教えてもらったイギリスのドキュメンタリー番組「未来への農場」がYouTubeで見れます。なぜ長谷川さんが今早稲谷で農場をしているか分かるかと思います。なぜ自分の実家である農場を継ぐことにしたか、どんな農場にしたいかを実践しようとしている女性のドキュメンタリーです。
農学博士の長谷川さんは、何をご専門にしていたのですか?

長谷川:有機農業という、除草剤の農薬を使わなくても相応のお米がとれるような開発に取り組んでいます。地球上に今70億人を超える人がいて、非常に文明的な生活をすることは、地球にある資源をいっぱい使って自然を酷使しているのです。このまま行ってしまうと石油も少なくなって(価格が)段々高くなると、便利な生活を続けられなくなるのではないかということを世界的にいろいろな人が警告して、“ピークオイル”と言っているのです。
石油がなくなるとごく少数の人が農業で他の人を支えることはできなくなるということです。農業だけではなく、雪国の喜多方での暖房にほとんどの方が使っている灯油がもし1リッター1000円になったら…ということを真面目に考えているのが私で、間伐材を燃やしてこの前の冬は灯油を一滴も使わずに何とか過ごすことができました。

小野:長谷川さんに会った時は正直あんぐり笑えるような話をしてくれまして、滅茶苦茶面白いなと…。・・・普段生活している方が何を考えているのか、相手のことに対してどれほど好奇心を持つかとか、じゃあ自分は何を考えているのか?・・・例えば子供がいたとしたら、自分の息子娘は何を考えているのだろうという好奇心が「精神の〈北〉へ」というコンセプトへの大きなワンステップになるのではと考えています。その中で長谷川さんのやっていることは一気に10ステップぐらい勝手に発進しているのが面白く思います。
それで馬2頭は、実際に実践していく中でペットではないですよね?

長谷川:馬糞が良い肥料と燃料にもなるので馬を飼っているのですが、「なんでお前は乗らないのだ」と言われるので、そろそろ乗ってみようかと… (笑)。私の住んでいる早稲谷でも60年前に遡ると馬が20頭、農業とか運搬に使われていまして、餌として雑草を食べさせていたのです。この季節になると葛(クズ)が繁殖してはびこる厄介者の代表格ですが、馬にとって葛は大好物で、よだれを垂らしながら食べるのです。こんな厄介物が、馬を飼ったらこんなご馳走に変わるのか!ということが発見でした。

小野:2年経って、元々始めようとした早稲谷の生活は長谷川さんにとってどの辺のポジションにあるのでしょうか?

長谷川:何パーセント達成したかと考えるとあまり楽しくないので、・・・想定外のことがあっても楽しくやっていくということ、結局楽しい顔をしていないと他の方も集まってきてくれないので、顔はいつも笑うようにしています。

小野:ストレートに、長谷川さんにとって「精神の〈北〉へ」とは何か?言葉で。

長谷川:東北は農業の面から言うと食べ物を作って都会に送る、農家の働き手も都会に送るというところだったのですよね。だから「精神の〈北〉へ」というとそこが大事なところかなと思いました。
もうひとつ、私がたまたま移り住んだ山都町は昔、交通の要衝で、栄えた時代は芸術家のパトロンとして、喜多方よりずっと芸術家が集まったそうです。町名のとおり山の都ですかね、山が栄えて、農業も栄えて、交通も栄えた。そういう芸術が栄えるような田舎であり続けるということはゆとりがあることだし、それ以前の問題として、戦争がない平和で豊かな国・地域であるということなので、芸術が栄える田舎というものになっていければな、ということが私なりの一つの答えかと思います。

20分のトークより抜粋・編集

小野良昌

小野良昌(オノ ヨシマサ)/アート

1955年、福島県生まれ、東京都在住。
1984年からフリーランスフォトグラファーとして、主にコマーシャル分野で活動。
1994年、st.CINQ設立。
2001年よりビデオ撮影、企画制作も開始。3.11後の福島を撮影した作品も積極的に制作している。
映像作品「one hundred layers in fukushima」 「精神の〈北〉へ」vol.1、vol.2インタビュー

長谷川浩

長谷川浩(ハセガワ ヒロシ)/有機農業

岐阜県生まれ。農学博士。将来の人口減少・資源枯渇・気候変動に備えるため、福島県喜多方市山都町で築150年の古民家に住み、自ら消費するお米、小麦、大豆を自ら生産し、暖房と給湯には薪ボイラーを使っている。水は古民家の井戸水を活用。著書『食べものとエネルギーの自産自消』など。都市生活者が自産自消を体験できる「早稲谷大学」を開講している。


『北を向いて、歩こう』千葉奈穂子 x 山中雄志

千葉:この場所(高森山という県道・会津若松―北塩原線の西側の小高い丘)の古墳は喜多方市内の常世地区という場所なのですが、名前から衝撃的なインパクトをまず感じましたし、丘全体が墓地になっていることに衝撃を受けて、見守ってもらっているというか見下ろされているという構図にまずびっくりしました。

山中:特に古い古墳というものは自分が支配する地域、もしくは常に見られる小高い地域に作るのが普通でして、不思議なことに古墳のある所はその後も、聖なる場所とか特別な場所というのがあるのでしょうかね、お墓やお寺や神社があることは非常に多いです。
古墳時代の文化の中心は関西で、それから見るとこちらはずっと北の方になります。
漢字を使う所では“北”はネガなイメージがありまして、北という字はもともと背くとか逃げるとかあまり良いイメージがないみたいですね。これは中華思想によるところもあるのですが、あと漢民族が北からの狩猟民族や北方民族に酷い目にあっているので北に対してそういうイメージができたのではと思います。
北に住む人のことを大和朝廷は蝦夷(えみし)と呼んでいるのですけれど、蝦夷というのは勇猛な猛き人々、禽獣に近いイメージで古代は捉えられていて、時代が下るに従ってそういうイメージは凄く強くなります。

去年掘られた家西遺跡は古墳時代の最も初めの頃の1700年ぐらい前の時代の、ちょっと物議を醸し出しそうな遺跡なのです。・・・北陸や関東から入ってきた土師器(はじき)というツルツルの土器と、弥生時代になってからも頑固に縄目をつける東北の土器が、一緒に出てきてしまいました!この両方は一緒に出てはならないくらいの問題があり、どれくらい違和感があるかというと、私がここで喋っているよりもっとアウェー感、仏壇の中に十字架が立っているような感じですね。(笑)要するに、ここにはどうやら四方八方からものが入っている状況だった模様です。北の文化というのは消えないできちんと生きている、意識を持ち続けていると言えるのでしょうかね。

千葉:私は喜多方のとても気になる山首神社(正式名称:那麻利七世社)を訪ねたのですが、大変な雰囲気を醸し出していまして…、東北東を向いていましたけれども、あの辺はどのような所なのでしょうか?

山中:会津地方では最北端にある古墳群で、・・・普通だったら東か南を向くのですが、喜多方地方には北向きの神社が5、6社ありまして、その中でも北東を向いている奇妙な神社ですね。喜多方の神社が何故北向きになるかというと、腰王神社というのがあるのですが、それは北を向いていまして、北からの民族が攻めて来るのを抑えるために北を向いているという伝承のある神社ですね。この山首神社、参道の北東側に大仏山があります。常に北の方からの通路・・・その抑えなのかなと私は勝手に妄想しておりました。

千葉:私の出身は岩手県水沢市の跡呂井地区というところで、小さい時からアトロイとかアテルイの話は聞いていたのですが、高校三年生の時に巣伏の戦いから1200年祭があって、その頃から水沢地区とか岩手県の方では結構アテルイを注目しているような感じがしました。北の勇者みたいなところも考えてみたいなと思っています。最後に一言、山中さんにとって“北”とはなんでしょうか?

山中:“北”というのはうんと大事です。北極星。多分北極星がなければ文明は生まれておりませんし、船も動けない。あとは人間というのはアフリカから出たと言われていますが、不思議なことに北を目指すところがあります。“北”というとある意味では指針、進む方向性を導いてくれるところです。私の歴史の分野で言うなら、まだまだ謎の部分が沢山ある、そういう意味で宝の山。そういうところです。

20分のトークより抜粋・編集

千葉奈穂子

千葉奈穂子(チバ ナオコ)/アート

岩手県生まれ、山形県在住。19世紀写真技法「サイアノタイプ」の技術を用いて、手漉和紙にプリントしている。初期から続く「Father’s House」作品は家族の家を生涯撮影し、私たちの存在が社会的背景や歴史の中からどう生まれてきたのかを問う。また東北に暮らす人々の思いや風土をつづる作品等、写真、映像、立体を用いて制作。
「カラムシの苧引きをする人」「喜多方・丘の墓地」「喜多方・熊野神社」「昭和村の夏・カラムシ」

山中雄志

山中雄志(ヤマナカ ユウシ)/歴史考古

1960年、福島県生まれ。文学博士(アジア文化史 日本古代史・考古学分野)。今年4月より喜多方市役所まちづくり課勤務。前勤務部署である文化課では文化財を担当し、同市所在の国指定史跡会津新宮城跡の発掘調査も行う。


『けものよ、ここにヒトがいます』丸山芳子 x 菅家博昭

丸山:最初にアーティスト3人が昭和村に菅家さんを訪ね時に、山道で見つけた獣の糞が熊かも知れないということで、菅家さんが山に向かって発した声が、このトークのキャッチコピーに「けものよ、ここにヒトがいます」とつけた理由のひとつなんです。

菅家:南会津では毎日熊が出て、昭和村でも昼間から稲穂を食べていますね。人口圧が減るのです。人が山に入らない、火を使わない文明になりつつありますよね。獣は見ていたはずなのですよね、「人が住んでいるところから煙が出ているからちょっと怖い、気をつけねば」と。今はそれがないので、結界が分からなくなって簡単に獣が入ってきます。“北”というのは野生、ワイルドなものですから、人間の圧力で押し込んでいたものが、今押し返されている。野生の立場からすると復元で元に戻るだけかなと思います。

丸山:キャッチコピーのもうひとつの理由は、昭和村の自然現象がかなりインパクトがあったこと。一面の空と一面の大地という場。雨の後、水蒸気がワアッと一斉に空に還っていく現象。そういう環境の中に身を置いて、自分の存在の基本に立ったみたいな印象だったんです。
それと、菅家さんのご専門の地域学というもので、猟師さんから聴き取った沢の名前、岩の名前を一つ一つデータ化して、後に残すために尽力されたこと。それから「会津物語」。

菅家:昭和村でも沢山遺跡があり、8000年前から人々が住んでいるところに、現代どうして人が継続して暮らせないのかというのが私の疑問で、専業農家なのですが、やっていけるのではないかなと。その時に福島県立博物館に赤坂憲雄さんがいらっしゃって、・・(促されて)聴き書きを中心としてお年寄りからいろんなお話を聴くことで会津学という雑誌を出すことになったのですね。3年前からこれも赤坂さんの提案で朝日新聞に「会津物語」を書いたのですが、まず語ってくれたお年寄りの実名で出す。育った社会背景を認識して頂くために、何年生まれとかを書く。語り言葉で記録するということをやりました。赤坂さんの注文は合理性のない話、科学的でない話、不思議な話ということ。科学的なものしか認めないというのを見直した方が良いというのが全体のトーンになったと思います。

丸山:話に出てくる頻度が高いのが狐ですが、話者は狐の姿を実際は見ていないのですよね。

菅家:「狐に化かされた」と言うと納得され、社会通念として追求しないという合意が多分あったと思うのですね。狐に盗られたということで…多分落としたり、買わないで酒を飲んだかもしれないですね。(笑)もう一つ、「買い物に行ったけど、お金がないので買えない」のではなく、「買ってきたのだけれども途中で落とした」というのは素敵な表現だと思います。
私は20代で農家をやる時に、宮沢賢治が農業指導者としてやっているので結構行きました、花巻には。彼は農をどう捉えていたのか?私もギターを弾いて歌を作ったりしているので、音楽や芸術論とかもやっている賢治が非常に気になりますね。

丸山:私達アートをやる側からのリサーチの対象となって、どのような感想をお持ちですか?

菅家:アーティストとか理屈でない回路で伝える仕事をしている人達の役割というのがあると思うのです。ですからいろんなところを案内してどういう形になるのかを見るのは非常に楽しみで、今回もこういうふうに直感に訴える、感性に訴える手法を持っている。社会の見えない変化を提示できますよね、アーティストは文字で書いている人以上に敷居が低い、訪れやすい表現方法なので。だからああいう(作品を指して)聴き書きした地名を張り込んだような表現をされるとは思ってもいなかったのですが、そういうこともやっていいんだ!単純だな…と(笑)。あともう一つ、懐かしい色というか、記憶の色、人々の記憶を固定するのですが、上手く表現しているのではという感じを受けています。

丸山:では、菅家さんがイメージされる“北”とは何でしょうか?

菅家:私が10代の時に感じている“北”というのは、差別される方向ですよね。例えば職業で言うと農業、住んでいる場所であると、都市から言うと農村だし、農村の中で言うと平坦地より山間地…と、向いている方向がネガティブというかマイナスの方向でしょうね。
20代30代になってきますと、“北”というと希望の光というか、目指すべき方向。だから背骨みたいのものですかね。見えないけれど大切なもの、そういうのが“精神の北”ですね。特に“精神”と付くのがとても大事な気がします。

20分のトークより抜粋・編集

丸山芳子3

丸山芳子(マルヤマ ヨシコ)/アート

福島県生まれ、東京都在住。地球上の生物であり、社会的存在でもある人間とはどんな生き物か?という興味から、国内外の多様な地域の人々と関わり、理解を深めつつ、インスタレーションや絵画作品を発表している。プロジェクト「精神の〈北〉へ」を企画。地域に深く根を張った伝承から、人々の精神世界を想像してみる。
「沢の音-昭和村-」「夏の山-昭和村-」「けものとひと-昭和村-」「命の系-昭和村-」

菅家博昭

菅家博昭(カンケ ヒロアキ)/地域学研究

1959年、福島県生まれ。宿根カスミソウ栽培・生産の専業農家(出荷時期は6~10月)。1984年から花の栽培を開始。同年昭和花き研究会の設立に参加し、現在、同会・会長。2004年に奥会津書房の遠藤由美子さんらと「会津学研究会」を設立。雑誌『会津学』を創刊。本年度最終刊を発行する見込。